絵を描くということ

はまる

私はなにかにはまるともうそのことしか考えられなくなる。エッグタルトにはまればおやつはエッグタルトだけになるし、素敵な曲に出会ったら100回くらいエンドレスリピートする。面白い本に出会ったらその日から徹夜。好きな人ができたらその人の話めっちゃ多くなってバレる。とても極端。その中でも視覚的に素晴らしいものに出会った時には、絵を描くという行動に出る。私が絵を描くというのは、その対象にものすごく興味をもっているということ。

いつからだろう

今思い返してみれば昔からそうだった。最初は幼稚園のセーラームーン、そのあとGTOとかの漫画。そんで小学校高学年でB'z。(ただB'zはこの時実力もなかったので模写はできず、やたらデフォルメした絵を描いていた)そして三国無双。三国無双にはまったあたりは家のパソコンのインターネット環境も充実し始め、たくさんの二次創作サイトで様々な絵を見ることができた。色んな絵をコンスタントに描くのではなく、好きになったらその人物の絵しか描かない。私がこのころ好きだったのは呂布、孫家、曹操でこの人たちの絵ばっかり描いていた。だから描いてきた絵の種類はそんなに多くない。

冷却期間

大学に入ってからバイト、勉強で時間はあったが絵を描くには至らなかった。謎。ちょっとこの時間がもったいなかったと後悔してる。

再熱

仕事が始まって1年。時間にもかなり余裕のある仕事なので、久しぶりに絵を描いてみることにした。そういうこともあろうかと一応ペンタブレットを荷物の中にしのばせてきたのだ。ただ、もう無双の絵は描けないな、と思っていたのでその頃ダンスがとても魅力的だったK-POPの中から描くことに。模写は今までずっと苦手意識があったのだけど、なんか昔よりうまく描けてるじゃん?というわけで何枚か描いた。でも夏休みが入ってまた描くのをやめた。

それから冬に水滸伝をみて呉用を発見するという自分の中ではかなり衝撃的な出来事をきっかけに、また絵が描きたくなった。
今回のはまりようは結構自分でも暴走したな、という感じ。12月から今まで手ブロで50枚くらい絵を描いたのだけどそのうち約半分が呉用。手ブロの水滸伝タグもジャックする形になった。描きながら何度もこれ呪いじゃないんかと思った。そして三つ子の魂なんちゃららというのも脳裏に浮かんだ。全然変わってなくて笑える。
周りが白目むくくらい描いても呉用先生はきれいだから、描きたくなる。私は模写するのが好きなんだけど、写真の模写は好きじゃない。写真も一瞬を切り取った絵のようで、それをコピーすることは、絵の絵を描いている感じがして、あまり意義が感じられない。だから、ドラマの中のワンシーンから、動いている人の一瞬をきりとる。これも結局写真のようなものなんだけど、最後は自分で選んだぞ、という気持ちになる。美しい顔を切り取るのも好きだけど、驚いた顔とか、じ〜っと見てないとわからないくらいの微妙な変化があった瞬間を切り取って、それを描くのが楽しい。
ただ、結局は模写だから、生産性や創造性はあんまりないのかもしれない。実はこれ私の中では劣等感。コピーしかできないなあと自分の能力を残念に思う時もある。でも模写ってるとき、私は確かに楽しいのだ。一枚の白い紙から、何かが浮かび上がって、はっきりしてくるこの感覚が好き。一枚一枚自分の絵が増えることが喜び。ある日突然「何やってんだ」と思う時がきてしまうかもしれないけど、しばらくは来ないようなので、もうしばらくこの欲求の赴くままに描いていきたい。